セアカゴケグモ咬症

セアカゴケグモ咬症とは

 クモの仲間は世界中で約35,000種が報告されており、多くは陸棲であるが、一部水棲のクモも知られている。日本での種類数は1,000種ほどで、多くは人に何ら危害を与えるものではなく、目立たない場所で糸を使って生活している種類が多い。
 
 クモの頭胸部には1対の毒腺がある。毒腺は牙と導管で結ばれており、毒液が粘性のある糸に補足された獲物の昆虫や土壌動物の体内に牙から注入される。毒液には獲物を麻酔する活性成分が含まれており、麻酔されて動かなくなった獲物に腹部末端から粘りのある糸を獲物の体全体に巻き付けてより動きを止める行動が知られている。多くのクモの毒液には何かしらの生理活性物質が含まれているが、一般に、毒グモと呼ばれるクモ類の毒には、哺乳動物に対して激しい痛みの原因となる発痛物質を持つもの、神経毒や細胞毒性のある壊死毒を持つものが知られている。我が国では、ススキなどの葉に巣を作るカバキコマチグモの雌生体の毒液に激しい痛みを生ずる成分が知られており、クモ刺咬症の原因として有名である。本稿では、1995年に大阪地区で初め発見され、その後、近畿地方全体に分布域を広げ、生息密度が高まっているセアカゴケグモに関して、生態・毒成分・分布域の拡大・咬症・防除対策に関して紹介する。

セアカゴケグモ(Latrodectus hasseltii)とは

 ゴケグモは世界で30種以上が知られている。セアカゴケグモ以外に、北米のクロゴケグモ(L.mactans)、ヨーロッパのジュウサンボシゴケグモ(L.tredecimguttatus)、アフリカ大陸のL.indistinctusなどが咬症発生の頻度が高く、重要な種類である。セアカゴグモは、タスマニアなどに分布が確認されているが、オーストラリア大陸が主要な分布地域である。
1849年にアデレードでの咬症例が報告されており、1980年代にブリスベンに分布域が拡がった。成体(成虫)の体長は、頭胸部と腹部を含めて雌約1cm、雄薬0.4cmで、腹部背面に赤黄色
の縦すじ模様があり、腹部にはゴケグモ全般に見られる砂時計型の特有の赤色紋がある。
我が国には、セアカゴケグモ以外にハイイロゴケグモ、アオカビゴケグモ(ヤエヤマゴケグモ)、クロゴケグモの4種の分布が確認されている。1995年に大阪の湾岸地域で初めて確認された当時、セアカゴケグモは亜熱帯性のクモで日本では越冬できないと言われていた。
しかし、セアカゴケグモが多数分布しているサウスオーストラリア州の州都アデレード市(南緯34.92°東経138.60°)の年平均気温16.8℃は、大阪市(北緯34.68°東経135.50°)の15.4℃と大きな差はなく、セアカゴケグモは湿帯性のクモと考えられる。大阪湾岸で発見されたセアカゴケグモは、その後の数年で大阪湾の内陸部へ分布域を広げ、現在、近畿地方を中心に生息密度の高い地域が認められている。

セアカゴケグモの毒成分

 ゴケグモ類の上顎には毒腺とつながった牙がある。毒腺は、厚い筋肉層に被われており、
効率良く毒液を獲物に注入する構造となっている。餌は多種類の小型の節足動物で、昆虫
以外に、ダンゴムシなども恰好の餌となっている。最初に獲物に粘性の高い糸を吹きつけ、
ある程度動きが治まった段階で毒液を牙から注入する。ゴケグモ類の毒液中には遊離アミ
ノ酸類、ヒアルロニダーゼなどの酵素類、分子量約13万のタンパク質性の神経毒(α-latro
toxin)の存在が知られている。この毒は神経系全般にわたって働き、神経末端よりアセチル
コリン、カテコールアミン等の神経伝達物質の放出を促し、再流入を阻止することにより神経末端の神経伝達物質を枯渇させる。それによって、運動神経系、自律神経系が阻害され、
種々の症状が現れる。ゴケグモ類のもつ毒に対する感受性は、ネコ、ウマ、ネズミ類が高く、
鳥類、両生類は低いなど動物の種類によって相当異なっている。また、昆虫類のイエバエは
感受性が非常に高い。なお、ジュウサンボゴケグモのα-latrotoxinに対するモノクロナール
抗体は、セアカゴケグモなど我が国に分布が認められる3種のゴケグモ類の毒腺抽出物由来蛋白質(分子量110~120kD領域)に明らかに反応した。

ゴケグモ咬症の症状と治療

ゴケグモに咬まれた部位の皮膚の反応は特別強くなく、紅斑が生じない場合もあり、刺し口が1-2ヵ所認められる程度である。今までの報告では、咬症部位周辺の発赤、局所から拡が
る痛み、しびれ、軽度の腫脹を訴える場合が多い。オーストラリアの咬症例では、受傷後5~
60分で強い局所の痛みが始まり、その強さと範囲が増大していく。所属リンパ節の痛みも特徴的である。この痛みの広がり方はゆっくりでリンパ液の流れる速度とほぼ同じ程度と言われている。全身症状としては、刺咬部以外での疼痛、悪心、嘔吐、異常な発汗、倦怠、感覚異常、発熱など多彩な症状が認められる。指や腕を咬まれた場合、胸部痛が激しく起こり、心筋梗塞などの発作との鑑別が必要になる。下肢を咬まれた場合には、激しい腹痛が起こる場合があり、虫垂炎などとの鑑別が必要になる。患者がゴケグモを持参した場合には診断が容易であるが、何に咬まれたか分からない場合には、咬まれた地域、季節(多くは6~10月)、咬まれた状況、上記の症状の有無などを総合的に判断する必要がある。オーストラリアの例では、咬症患者の20%ほどに激しい痛みが出現すると言われている。一般に、重症に陥るのは小児、高齢者、虚弱体質の者が多い。オーストラリアでは、セアカゴケグモに咬まれて抗毒素を注射された2,062名中、アナフィラキシーショックを起こした者はわずか11名(0.54%)で、死亡者はいなかった。11名中のうち5名は抗毒素の原液が静注された。現在、抗毒素血清を製造しているオーストラリアのCSL社は、筋肉注射を推奨している。本血清はウマ由来の製品であるため、アナフィラキシーショック対策を徹底しなければならない。また、頻度が低いながら注射後ある程度日数が経ってから発症する血清病に対する注意喚起も必要である。なお、生息数が少なく、分布領域が限定されているハイイロゴケグモ、八重山地方のアオカビゴケグモに対する抗毒血清は製造されていない。
しかし、毒成分であるα-latrotoxinには上記に示したようにゴケグモ種間に共通抗原性が認められるので、上記2種の咬症患者の容体が悪化した場合には、緊急の処置としてセアカゴケグモに対する抗毒血清を使用することも選択肢の一つとして考えるべきではないだろうか。

我が国における咬症発生状況と対策

 一般にゴケグモ類は臆病でヒトを積極的に攻撃することはない。オーストラリアでは毎月
1,000例以上のゴケグモ咬症が報告されているが、1956年にセアカゴケグモの毒成分に対する抗毒素血清が市販されてから死亡例はほとんどなくなった。
 
 我が国のセアカゴケグモの咬症例は、1995年以降2013年1月までに、大阪府を中心に71症例が公表されており、2006年以降明らかに増加している。咬症は庭に置かれたサンダル・スリッパ・長靴などを履いた、側溝の掃除をした、庭の手入れ、植木鉢やプランタを運んだなどで咬まれた症例が多い。これは、既にセアカゴケグモが一般住宅の敷地内に入り込んでいることを示しており、今後、地域によってゴケグモの生息密度が高まった場合、オーストラリアと同様に、家屋内に浸入する可能性が危惧されている。なお、地方自治体によるゴケグモ類の調査は系統的に行われておらず、突然大量のクモが発見される事例があることから、医療関係者は、患者が咬まれた地域と今までの分布地域が一致するとは限らないことに留意すべきである。我が国の咬症患者は3才から86才まで広範な年齢層に認められており、10才以下の年齢層では男児の咬症例が、61才以上では女性の咬症例が多い。各自治体は、公園・学校等の公共施設において、物理的にゴケグモを防除することを積極的に行い、個人の住宅等は個体密度が高まる5~6月以前に、住民参加による防除を推進することが強く望まれる。
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